自産の匠烈伝

2022年10月3日

自産の匠烈伝④〜故郷の自然と共に〜

故郷の自然と共に

武市泰法さん(42)=高知県四万十町飯ノ川

台地の恵みと武市さんの思いをいっぱいに受け、
初秋の風になびくニコマル。
県内外の消費者を喜ばせている(高知県四万十町飯ノ川)

 高知県の中西部に位置する高南台地は、清流四万十川の恵みを受ける田園地帯が広がる。初秋の日差しをたっぷりと浴びた水田は、見渡す限り黄金に染まり、たわわに実った稲穂が揺れる光景が続いていく。昼夜の寒暖の差が大きいこの台地の水田では、食味の良いコメが取れることで知られ、県内外の消費者の人気を集める。

 飯ノ川地区の武市泰法さんも、そんな人気の米を育てる農家の一人。3町6反の水田でコシヒカリ系統の「にこまる」をメーンに、ほぼ家族でだけで耕作している。訪ねた昼下がりは、ちょうどコンバインで刈り取りの真最中。手前の畔から声を掛けると、運転席からヒョイと降り立ち、爽やかな笑顔で迎えてくれた。

 「自然以外は何もない場所でしょ。でもこんないい所はない。ここで生活できている幸福を日々感じながら、大好きな土に向き合ってます」

 武市さんは地元では数少ない若手農家。県内の工業系高校を卒業し、興味のあったロータリーエンジンを手掛けたマツダを就職先に選択。34歳まで約16年間働いていた。勤務部署は開発部。マツダが販売する全ての車種のプロトタイプを作る仕事だ。

 「開発の仕事はすごく自分に合っていた」そうで、機械を扱う毎日は、とても充実していた。モーターショーに出品する新型の車をつくり上げ、ショーの現場に出向いてメンテナンスもする。ディーラーに出ていない車種なので、開発部以外の者はメンテの仕方も分からないから、どの現場にも行く必要があるわけだ。国内はもとより、ドイツやフランス、オランダ、台湾、オーストラリアなど国外の出張も何度も行ったという。

 勤務先で妻、侑子さんとも出会い、2人の子供にも恵まれて順風満帆の日々を送っていた。しかし、長男が小学1年の時に転機が訪れる。通っている小学校の運動会を見に行った時だ。広島市内の大きな小学校では、人が多すぎて自分の子がどこにいるのかほとんど分からない。「こんな都会の生活で、本当にいいのだろうか」――小さくて温かい雰囲気の学校で少年時代を過ごした自分と重ね合わせ、大きな違和感を持った。

 農家の長男として、いずれは故郷に帰るつもりだった武市さんの中に、帰郷の思いが一気に膨らんだ。最後の一押しになったのは侑子さんの行動。四万十町役場の採用試験を受けると言ってくれて、見事に合格。家族そろってのUターンが実現した。

 武市さんは慣行農業だが、できるだけ肥料や農薬を使用しないことを目指している。ノウハウは数多くあるのだが、その一例は苗の植え方。苗の本数を通常より少なくした上で、苗の間を田植え機の最大幅である30センチにしている。

 「一株当たりの土の面積を増やすためです。当然、収量は少し減るが、美味しさは増す。また、収量を増やすには肥料も必要ですが、それも減らして稲がこたわん(疲れない)程度にストレスを与えると食味が上がる」

 ただ、米の食味向上に最も寄与しているのは、「飯ノ川という地域の環境」と強調する。太陽や水、気温などすべての自然が、米を豊かに美味しく育ててくれるというのだ。地名に「飯」がついているのは、その素晴らしい環境から来ているのかもしれない。

 月のうち半分は、地域にある県立農業担い手育成センターで農機具を取り扱う講師として後進を教える。マツダの開発部で働いていた武市さんは、機械の整備や取り扱いは得意中の得意なのだ。講師の仕事がない日を農作業に充て、土日は侑子さんも加わって田畑を耕す。

 「そう言えば年中無休ですね。だけど全くストレスはないですよ。大好きな故郷で、好きな仕事をしているんですから」

 赤銅色に焼けた顔がほころんだ。その後ろには、丹精込めて育て上げた自慢の水田が広がる。初秋の爽やかな風を受けてしなやかに揺れる稲穂が、一段とまぶしく見えた。

(野本裕之=フリーライター)

武市泰法さんの作ったお米はこちら

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