自産の匠烈伝

2022年8月22日

自産の匠烈伝① 〜母に食べてもらうために作る〜

母に食べてもらうために作る

吉井浩一さん(52)=高知県いの町

269249565_3170259763197370_5102288579588538346_n丹精込めて作り上げたフカフカの土を手に取る吉井浩一さん。
自然のゆりかごで育てられた作物は大自然の恵みをたっぷりと身にまとう(高知県野市町)

 「僕の農業の一番の目的は、母に食べてもらうためなんです」

 青く透き通る初夏の空の下。吉井浩一さんが少し照れながらつぶやいた。農業を始めたのは2010年から。高知県野市町のこの場所での作付けは、今年で9年目を迎える。土づくり、品種選び、栽培方法…。何度も何度も試行錯誤を繰り返してきたが、目指していたものはずっと変わらなかった。

 大病を患った母は、化学物質に過敏になり、一般に出回っている農作物をほとんど食べられなくなった。農薬や化学肥料が主体の農法で作られた作物を体が受け付けなくなっていたからだ。どうやったら、昔のように美味しそうに食べてもらえるだろう。たどり着いた答えは、農薬や化学肥料は絶対に使用せず、鶏糞や牛糞などの動物性資材さえ使わない農法だ。土を肥やすために使うのはイネ科の緑肥が主体。植物の根と、それと共生する微生物が土を十分に肥やしてくれるという。

 「だいたい土づくりに3年かかります。見て下さい。これが本当に肥えたいい土です」

 両手で掬った土を大切そうに見つめる。スコップなどを使わなくても、手で簡単に掬い取れるフカフカの土。この土で今育てている主力作物は、ニンニクやサトウキビ、ラッカセイ、ショウガだ。

 訪問したのは、ちょうどニンニクの収穫時期。2反の圃場で採れたニンニクを黒にんにくに加工し、「土佐の隠し玉」という商品名で販売している。こだわりの土で育ったニンニクは自然の恵みだけを芋に満載し、驚くほどクセがなく、誰もが食べやすい商品となっている。

 数多くの試行錯誤を経て、究極の味にたどり着く。その道のりは、吉井さんの歩んで来た人生とも重なる。実は、吉井さんは農業を始めるまでは、一次産業とは全く別世界のITや金融関係で活躍する人だった。

 高知県出身だが、父が転勤の多い職場だったため、愛媛県で育った時期が長い。新居浜西高校を卒業後、京都大に進み大学院を修了。アメリカのジョンズ・ホプキンズ大の留学を経て、IT系の経営コンサルタント企業に就職。自らコンサルタント会社を立ち上げたほか、外資系の証券会社の経験もあるそうだ。まさに最先端で華やかなグローバルな世界。それなのに、なぜ今、土と共に生活するローカルな世界にいるのか。

 「その世界で働いている間、ずっと感じてたんです。この生き方は間違っていると。デジタルな空間ではなく、自然に順応した生き方が正しいんじゃないかと」

 2010年に母が大病にかかり、介護のために帰郷しなければならなくなった。そして、長年生きてきた世界から離れ、一次産業で生きていくことを決断した。当然、収入は激減した。しかし、人生の生き甲斐は、比べ物にならないくらい膨らんだという。

 「生活は苦しいけれど、楽しくて仕方がない。毎日、畑に来るのが楽しみです」

 吉井さんが今、最もうれしいのは、「植物の気持ちが分かった時」だそう。植物の気持ちに寄り添うことができて、植物が満足して生長してくれたら、自然と美味しい作物ができる。デジタルではなく、リアルな結果となって目の前に現れる。その瞬間を味わえるのが幸せなのだ。

 吉井さんの思いが詰まったフカフカの土で、大切に育てられた作物たちは、「安心・安全」というレベルを超え、大自然の持つ生きる力をたっぷりと身にまとい、私たちのもとに届けられる。

(野本裕之・フリーライター)

吉井浩一さんの作った黒にんにくはこちら

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