自産の匠烈伝

2022年8月22日

自産の匠烈伝② 〜カツオの文化を守り伝える〜

カツオの文化を守り伝える

田中隆博さん(61)=高知県中土佐町

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久礼の象徴、カツオの文化を守り伝えることで、 地域の幸せを追い求めている(高知県中土佐町久礼)

 「本当の幸せは、普通の田舎の暮らしの中でこそ感じられる」

 キラキラと銀色に光るカツオを手に取り、するどい視線をこちらに向ける。「カツオ一本釣りの町」として、全国的に有名な高知県中土佐町久礼。賑わいの中心地「大正町市場」の一角にある鮮魚店の社長を務める。家業の鮮魚店を継いで約30年。日々、カツオと共に過ごし、「カツオの町」を全国区に押し上げた仕掛け人の一人だ。

 「小さいころは魚が好きじゃなかった。目刺しを作らされるのが嫌だった。そんな暮らしから逃げ出したかった」

 勉強をしたら、家業の手伝いは免除された。だから、頑張って勉強した。そして、県内では指折りの進学校に入った。小さな田舎町から、進学校に入る子供は数少ない時代。魚屋を継ぐことなど微塵も考えず、大学の受験勉強にどっぷりと漬かった日々を過ごし、慶応大学法学部に進学する。

 卒業後は都会の大企業ではなく、香川県の中小企業を選んだ。入る気持ちはほとんどなく、帰高のついでに半ば冷やかしで立ち寄ったのだが、何とも言えない社長の魅力と会社の雰囲気に惹かれて入社を決める。繊維事業などを世界的に展開するスワニー(香川県東かがわ市)だった。

 入社したころのスワニーはまだ草創期。入社半年で、進出したばかりの中国工場に行かされる。当時は、日本から進出する企業はほとんどない時代で、上海で3番目の日本企業だった。工場は上海と蘇州の間にある田舎町。当時の中国ビジネスは、まさに何でもありのカオスの世界で、トラブルの連続だったが、工場の責任者として「頭が禿げ上がるくらいの苦労」をして、3年目で黒字化を成し遂げる。

 「進出企業の先輩に良くしてもらったり、高級ホテルで週末を過ごしたり、それなりに楽しかったですが、何かが違うと思い始めたんですよね」

 ある日、工員の家を訪ねた時に、その「何か」が明確になる。小さな掘っ立て小屋で、家具もほとんどない貧しい生活なのに、家族全員が仲良く幸せそうに暮らしている。本当に幸せなのは、自分なのか彼らなのか。そして、工員の家族の表情と、自らの田舎、久礼の漁港で楽しそうに笑う漁師のおじいちゃんの顔がオーバーラップした。

 「幸福は、経済指標では計れない」

 あれほど逃げていた故郷の久礼で、家業を継ぐことを決意する。30歳の時だ。

 帰郷して10年ほどは、「魚のことを知らないといけない」と考えて、水産業者としての基礎を固めた。水産業は斜陽の時代。幾つもの失敗もした。しかし、充実していた。田舎町で自然と付き合いながら暮らす。そこに本当の幸福があると確信が持てたからだ。

 「地域が育んできたカツオの文化を守り、未来に引き継いでいく。それが豊かな地域を維持することにつながる。幸せな地域の生活を守ることになる」

 田中さんがたどり着いた答えだ。次の世代の子供たちに訴えたいのは、「お金に頼らない生活」だと言う。

 『私たちの町は、お金は少ないけれど、幸せに暮らしている人が多い。「幸福度」を「お金」で割ると出てくる数字を「幸福指数」とすると、その指数は、どこの都会の人々より高いはずだ。地域の海の幸、山の幸で持続可能な暮らしをしていく。それが一番幸せなことだと思う』

 力強く手に取ったカツオが、さっきよりも銀色に輝いて見えた。

(野本裕之=フリーライター)

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