自産の匠烈伝

2022年8月22日

自産の匠烈伝③ 〜柚子の山に生きる〜

柚子の山に生きる

小松昌裕さん(41)=高知県香美市物部町根木屋

3丹精込めた木から自慢の柚子玉が実っていく(香美市物部町)

 まばゆいばかりの盛夏の日差しが、緑の山々に降り注ぐ。高知県中東部の山あいに位置する香美市物部町。車一台がギリギリ通れる山道を分け入った奥深い山肌に、深緑の葉を輝かせた柚子の圃場が広がる。

 「緑の木々以外は何にもないでしょ。でも、こんな場所が落ち着くんですよ。家族がいなかったら、独りでここに住みたいくらい」

 近くにある柚子の木に優しく触れながら、にこやかに話す。

 所有する山にある柚子の圃場は約7反。そこに700本前後の柚子を植え、父の済(ひとし)さんと一緒に育てている。圃場の規模はそれほど大きくはないが、育成技術がずば抜けて高いため、地域内でトップクラスの出荷量を誇る。

 柚子農家の次男として生まれたが、すぐに農家を継いだ訳ではなかった。地元の小中高を経て、地元に支店のある民間企業に就職、自宅通勤で10年ほど働いていた。そのころ熱中していたのが「車」。と言っても、ただの車ではない。レース用の車でサーキット場を駆けるレースに情熱を傾けた。

 レース用の車を購入して、自分で改造するなどしてチューンアップ。それをレース場に持ち込んで、他者と競い合う世界だ。他の遊びは一切せず、給与をほぼすべてつぎ込むほど熱を入れた。「当時は、本気でプロドライバーになりたかった」と笑う。

 大会でポールポジションを取るなど、一定の成果も挙げていたが、高知県の田舎在住というハンデはきつく、常に練習量不足に悩まされた。それを解消するためには、都会に住むしかない。運転技術を評価してくれた企業から就職を誘われたが、どうしても踏み切れなかった。当時は独身で、都会に出ること自体には何の問題もなかった。でも、行かなかった。

 「生まれ育ったこの山の自然から、なぜか離れたくなかった」

 あれほど熱中していた車よりも、山々に囲まれた故郷の自然が好きだったことに改めて気付かされた。そして、会社勤めを辞め、しばらくして父の仕事を手伝うようになった。

 父の作業を身近で見ていると、その育成技術の高さが身に染みて分かった。柚子の実を取りながら、3年先の木の姿を思い描いて枝を剪定する。それも極めて速いスピードで。とても真似できない。「まるで木と会話しながら作業している感じ」と形容する。

 そうした技術を学びながら、自らも柚子農家として経営の勉強も進めた。力を入れたのはJAルートではない独自の販路開拓。先進地に出向いたりしながら、新たな柚子農家の姿を追求。徐々に直接販売のルートを拡大していき、ついに3年前にJAを脱退した。

 「JAに出荷すると、全部が一緒になってしまう。僕はうちの柚子が一番と思っている。それが欲しいと言って購入してくれる消費者の元に届けたい」

 ここまで力を込めるには、相当の理由がある。反当たりの収量が多いこともさることながら、出荷するすべての柚子を、無農薬、無肥料の完全なる自然農法で育てているのだ。この思い切った挑戦は、自ら父に提案して開始した。

 「いくら消毒しても、その虫はいなくなるが、別の虫がすぐやってくる。消毒に意味はないのではないか」と考えたのがきっかけだ。「標高の高い山肌で、丹精込めて手入れし、抵抗力の強い木を育て上げている。無農薬でも大丈夫なはずだ」―この仮説は、見事に当たり、収量は落ちなかった。もちろん、柚子玉の味や香りが各段にアップしたのは言うまでもない。

 「大好きな緑に囲まれて、自然と共に生きて、その実りを欲しい人と分かち合う。こんな幸せなことはない。今はとても充実しています」

 おだやかな視線の先には、まだ小さく青い柚子玉。降り注ぐ陽光と細やかな愛情に育まれ、実りの秋に向けて豊かに成長している。

(野本裕之=フリーライター)

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