2014年2月22日
『加尾の庭』に梅花黄蓮が咲きました
『加尾の庭』に梅花黄蓮が咲きました
2014年2月22日
『加尾の庭』に梅花黄蓮が咲きました。
梅花黄蓮はバイカオウレンは世界的な植物学者である牧野富太郎博士がこよなく愛したキンポウゲ科の多年草で、その梅によく似た小さな白い花は、早春に清楚に咲きます。バイカオウレンの葉は「高知県立牧野植物園」のシンボルマークとなっています。
2014年2月19日の高知新聞の『地球・美の原風景 桐野伴秋の世界』に梅花黄蓮が紹介されていました。
その記事の抜粋を紹介させていただきます。
梅花黄蓮 手のひらにのる春
足もとから届けられる春の便り。
ふんわりし雪が舞い降りてきたかのようなその花は、わずか5㎝ほどの茎の先に微笑む。
植物学の父と呼ばれる佐川出身の牧野富太郎植物博士がこよなく愛した花のひとつだと言われている。
花びらのように見える白い部分は、実はガク。中央の黄色い棒のような部分が花弁で、花のようすが
梅の花に似ていることから梅花黄蓮バイカオウレンの名になったという。
東京の自宅の庭にも植えていたと聞くこの花に、博士は母親が子供に話しかけるように、慈しみ
愛おしんで花との語らいを楽しんだことだろう。時には、自分自身もその花に重ね合わせ、
愛する人や忘れかけていた大切なことまでも感じていたのだろう。
「私は草木の精なのかもしれない」と自分を例えていた牧野博士。そして、奥様の寿衛さん。
「私はあなたの研究を支えるために生まれてきたのですから、何も気にせずどうぞ研究を続けてください」
そう言って財産を植物の研究に注ぎ込んだ博士を支え続けた夫人の存在を、この清らかな花に
感じずにはいられない。
不思議な花だ。レンズによって拡大された梅花黄蓮は地面いっぱいに白く透き通り、その姿は、
森を守る妖精のよう。季節を誘う「手のひらに乗る春」だ。 (記事抜粋終わり)
『加尾の庭』の関係は、昭和58年9月10日甲藤 勇氏発行の『鴨田史話 続。遠藤邸ー吉野園ー』
の中に「牧野博士もまた遠藤の旧邸吉野園に入って、植物数の最も多き庭園であるとの折り紙をつけら
れたという。」の記載があるように、『加尾の庭』は牧野富太郎博士も愛した庭なのかもしれない。
『加尾の庭』は、龍馬、加尾、富太郎と土佐の歴史に梅花黄蓮の花のように清く、愛らしく花咲く庭である。