2011年10月12日
香川龍解放の道 その②
続いて出釈迦寺の奥の院捨身が嶽に行きました。
弘法大師が七歳の時に身を投げてお釈迦様が救ったところです。
詳しくは下記の説明をお読みください。
標高481mの我拝師山〔がはいしさん〕はもともと倭斯濃山〔わしのやま〕といった。弘法大師が真魚〔まお〕と呼ばれていた7歳のとき、この山に登り、仏門に入って衆生を救済したいという願いがかなうならば霊験を現すよう、もしかなわないのであれば我が身を以て諸仏を供養すると念じて、断崖より飛び降りた。すると紫雲が湧き起こって釈迦如来が出現し、天女が真魚を受けとめた。そして釈迦如来は「一生成仏」と告げた。
願いが成就することを告げられた大師は感激し、釈迦如来の姿を刻んで一宇を建立した。この時、倭斯濃山も我拝師山と改められたと伝えられる。これが73番札所出釈迦寺の縁起である。
出釈迦寺の脇の道を進んでいくと我拝師山に登る参道がある。石灯籠の並ぶ参道を頂上近くまで登っていくと山門があり、立派なお堂が見えてくる。これが根本御堂で、お釈迦様が現れたと伝えられる場所である。元はここが出釈迦寺であったが、江戸時代に山麓の現在地に移転した。
弘法大師が飛び降りたという捨身ヶ嶽禅定は、根本御堂の脇の登山道をさらに登ったところにある。かなり急な山道で、鎖をつたって岩を登るようなところもある。上の写真でいえば、お堂(鐘楼)と頂上の中間にある岩場である。下を覗くと、ちょうど根本御堂の屋根が見える。
中腹のお寺まできつい坂道を登っていきます。
このお大師さんを救ったのも龍みたいです。
ここの龍さんにはラリマーの玉を奉納させていただきました。
大喜びで空には龍雲がいっぱい出ていました。