2011年10月9日

多賀大社



実は、徳島行は、仕事の会議が滋賀県でありそのために車で行きました。

会議の会場にナビの誘導で行っていると、ことごとく国道の標識が多賀時大社を指していきます。

ちっと時間があったので会場を通り越して多賀大社にお参りさせていただきました。

由緒 [編集]

和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが、当社のことである。

『日本書紀』には「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」との記述があり、淡路島に「幽宮」を構えたとされている。

『古事記』以前の時代については、一帯を支配していた豪族・犬上君の祖神を祀っていたのではないかとの説がある。 犬上君(犬上氏)は、多賀社が所在する「犬上郡」の名祖でもあり、第5次遣隋使・第1次遣唐使で知られる犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)を輩出している古来の豪族である。

藤原忠平らによって延長5年(927年)に編まれた『延喜式神名帳』では、当社は「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載され、小社に列している。 「二座」とあることから、この時代にはすでに伊邪那岐命・伊邪那美命2柱が祀られていたことが分かる。

なお、摂社(境内社)である日向神社は延喜式内社であり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀る。 多賀胡宮とも呼ばれ多賀社の別宮として信仰を集める胡宮(このみや)神社は、伊邪那岐命・伊邪那美命・事勝国勝長狭(コトカツ クニカツ ナガサノミコト)の3柱を祀り、多賀社の南方2キロメートルにある小高い丘(神体山)に鎮座する。 授子・授産、鎮火の神として崇敬される。


大変立派なお社でした。

ご祭神も龍を司っている伊邪那岐命・伊邪那美命2柱が祀られている。






空には、龍たちの雲がたなびいていた。

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