2011年8月9日
イスラエル・エジプト紀行⑨イエスの歩いた悲しみの道
ヴィア・ドロローサ イエスの歩いた悲しみの道 です。
ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖で数々の説教と軌跡を起こしたイエス。
イエスはもともとユダヤ人である。しかし、ユダヤ教の律法学者は、イエスの説く教義か゜律法を
ないがしろにするものだと考えた。そして人々の心をとらえたイエスの力を脅威だと感じ、結果的に
十字架へと追い込んだ。
ユダヤ教の律法学者が最も嫌悪したことは、イエスが自らを神の子と称したことだった。
これはねユダヤ教の最大の教義である一神教に対する冒涜であるとし、彼らは、死罪を願ったのだ。
当時この地方を統治していたローマ帝国の総督ピラト。彼が律法学者の声に押されるようにして死刑を
言い渡すことになった。
こうしてイエスは、ピラトの官邸で行われた裁判で有罪とされてから、十字架を背負って歩くゴルゴダ
への道が、ヴィア・ドロローサ イエスの歩いた悲しみの道 である。
ヴィア・ドロローサ イエスの歩いた悲しみの道は第一留のピラトの官邸からゴルゴダにある聖墳墓
教会までの第14留がある。 (上の写真はピラトの官邸前のヴィア・ドロローサ )
イエスが手をついたと言われている場所です。
世界中の巡礼者が手を置いています。
イエスが十字架の重みに耐えかねて、つまずいたところです。
通り沿いには、お土産さんやら、飲食店が立ち並び、イエスの時代にも繁華街でした。
このような通りをマリヤや信者に見送られながらイエスは自分を犠牲とすることで
人類を救おうとしたのでした。
しかしイエスの本当の願いは、現代社会には、実現していません。
イエスは呟いています、『全ては一つであり、与えるものが与えられる。ただあるのは、愛だけである。』と
イエスが復活する最後の日に、世界はますます近づいています。
黄金の門が開かれ、イエスが予言した、『千年王国』の扉が開かれました。