2011年8月8日
イスラエル・エジプト紀行⑧ 黄金の門
黄金の門と岩のドームです。
ユダヤ教では、終末の日に救世主がこの門から神殿に入城するとされています。それを阻もうとイスラム教徒が石
と漆喰で門を塗り固めたため、今は通ることができません。
この黄金の門の伝説を岡田茂吉さんの大峠のお話より転載させていただきます。
イスラエルの都エルサレムには、開かずの門(黄金の門)があり、
ユダヤ民族の伝説として「時が来れば、イスラエルの王が再びやって来て、
この門(開かずの門)を通り、神殿に入り、神が住むというその聖所に座し、
世界を統治し始める」との話があると聞いています。
岡田茂吉師は、開かずの門をユダヤの民と日本人が、
手に手を取ってくぐる時が地上天国の始まりだと仰せであり、それは血肉ある人によるものか、
あるいは霊的な次元の話なのかはわかりませんが、いずれにしても悪の御用の結果ではなく、
世界人類の浄化が果たされた結果であり、私達は「一厘の御魂」の発動がされる時まで、
天照神の霊統を継ぐ民族として誇らしく堂々と、
スサノオ尊の霊統の人々を導く努力をすべきだと思います。
ヨハネの黙示録(7章)には「その後、私は四人の御使が、地の四すみに立っているのを見た。
彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。
また、もう一人の御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。
彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
『私たちの神の僕らの額に、私たちが印を押してしまうまでは、地と海とを損なってはならない』。
私は印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、
印をおされた者は十四万四千人(十二支族×一万四千人)であった」。
この言葉はユダヤ民族の過ぎ越しの祭や蘇民将来の話にも似て、
また大峠直前の出来事を連想させますが、この「日の出る方」から上って来る御使について、
実は古ユダヤ語(へブライ語)では日本をミズホラと呼び、
その意は東の国あるいは日出る国だったとされており、最期の大峠に際して日本民族には、
ユダヤの民に対する大きな役割があるようです。・・・
地球の歩き方の黄金の門の説明も転載させていただきます。
黄金の門 エルサレムの東に面する門だが、唯一閉ざされている。神殿の丘に接し、最も重要な宗教的意味を
持つ門だ。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教ともに、救世主がここからエルサレムに入ってく
るとしている。ユダヤ教では、週末の日、神殿の丘とオリーブの山の間に鉄の橋と紙の橋という二
つの橋がかけられ、全人類が審判に臨む時、神を信じる者は、紙の橋を選び、過去に起こったもの
のみ信じる者は、哲の橋を選ぶ。結局鉄の橋は崩れ落ち、紙の橋は安全にわたることができる。と
伝えられている
この日 2011年7月22日 午前10時ごろ 神殿の丘には月と太陽が輝いていた。
カゴメの歌のように「カゴメ、カゴメ、籠の中の鳥は、何時、何時、出逢う、夜明けの晩に、鶴と亀が統べっ
た。 後ろの正面、誰?」
正解は、後ろの正面は、イエス様のゲッセマネの園と万国民の教会でした。やっぱりイエスさまです。
鶴と亀は、ユダヤと日本 イエス様とスサノウ様 太陽と月 全ての統合でした。
週末の日、言い換えれば アセンションの日とイエスの復活の日は、すぐそこに来ています。