2011年8月3日

イスラエル・エジプト紀行④ キブツ訪問



次にアイザック社長は、ジェネシス社の種を使用してくれているキブツを案内してくれた。

キブツは、下記説明のようにイスラエルの独自の共同体である。

話には聞いていたが、実際お邪魔させていただき

驚くことがいっぱいあった。



まずは、キブツの事務所でお話を聞かせて頂いた。



ちょうど収穫が終わって、種を取るためのネギの畑にご案内頂いた。

広大な農地にとにかくびっくりさせられた。

北海道見たいな感じです。


収穫が終わった、トウモロコシの畑です。

見れば、見るほど広大な畑が広がっています。



ピーマンの試食もさせていただきました。

甘くって、肉厚の美味しいピーマンです。

日本のピーマンより一回り大きなパプリカでしょうか。



ハーブの畑です。

種を取るために残してあったものです。

写真の背景の山は、聖書にも登場する、由緒ある山のようです。

キブツの中には、工場も併設されています。

パレットを作っていました。

牛や馬 羊たちもいて本当に自給・自足のできる感じでした。

私が思っていた理想郷が実現していました。

エドガーケーシーのビジョン通りのものがありました。

高知でもキブツ・理想郷の建設に邁進したいとおもいます。


キブツの説明 ウィキペディアより


1909年帝政ロシアの迫害を逃れた若いユダヤ人男女の一群がパレスチナに渡り、最初の共同村デガニアをガリラヤ湖南岸に設立したのがキブツの始まりである。彼らは、自分たちの国家建設の夢を実現させようと願って、生産的自力労働、集団責任、身分の平等、機会均等という4大原則に基づく集団生活を始め、土地を手に入れ開墾していった。迫害のために世界各地からユダヤ人がこの地にやってくると共に、キブツの数や人口は増大し、学校、図書館、診療所、映画館、スポーツ施設などの建設もすすめられた。元来農業が中心であったが、現在では工業や観光業も営み、独立した自治体的な側面も有している。当初、生活のすべてが無料で保障されるとともに構成員の労働は無報酬であったが、現在では給与が支払われるようになっている。

コルホーズ、人民公社など、他の国にも共同社会的な事業形態はあるが、イスラエルでキブツが果たしたほどの重要な役割を持った自発的な集産主義的共同体は、他にはない。イスラエルにおける彼らの重要性はイスラエルの建国にまで遡ることができ、また現在でも重要な存在である。

社会主義とシオニズムが実際的な労働シオニズムの形で結合したキブツは、イスラエル独特の社会実験であり、歴史上最大の共同体運動のひとつである。キブツは独立した農業経営がまだ現実的ではない時期に設立された。共同社会での必要性にかられて、あるいはユダヤ教的、社会主義的なイデオロギーに突き動かされ、キブツの構成員は全世界の興味を引きつける、共同社会的な生活様式を発達させた。キブツは数世代のあいだ理想郷的な共同体であったが、現在のキブツの多くは、設立当初はキブツがまったく異なる選択肢と考えていた、資本家企業や普通の町とほとんど変わらない。

キブツはイスラエルの人口比率からすると考えづらいほど多くの軍指導者、知識人、政治家を輩出している。たとえば、初代首相ダヴィド・ベン=グリオン、女性首相ゴルダ・メイアなど。また、キブツの構成員がイスラエル人口の4%にもかかわらずイスラエル議会で議席の15%を占めていたこともあった。キブツの人口はイスラエル全体の7%を超えたことがない。しかし、イスラエル人にとっても、外国人にとっても、他のどのような施設にもまして、キブツはイスラエルを象徴するものとなった。現在、国境地域を中心に約270のキブツが存在し、それぞれのキブツの構成員は100-1000人、総人口は約10万人(2010年)。

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